【ワーホリ・留学】人がいいと舐められる!?と感じたシェアハウスでの経験【カナダ】
人がいいと舐められるんだな。
あえて不愛想にするくらいが最初のうちはいいのかも。
初めて会う人や初めての環境で、最初から自分をあまりオープンせず、相手のことをよく知ってから自分を出した方が、自分のことを守れるなと思いました。
これは私がカナダ留学でシェアハウスをした時に体験したことから学んだことです。
私は自分でいうのもなんですが、人がいいんです。笑
気づかないうちに人に尽くしすぎてしまっていることがあり、突然プチンと勝手に切れて、疲れることがあります。
私がカナダでシェアハウスをし始めた時、他のルームメートたちもほぼ同時に入居した子たちでした。
年齢は二人とも私よりだいぶ年下。
最初は特に問題なく。
そして私は持ち前のおせっかい?で
前の人から引き継いだお米のあまりを「一人で食べたら申し訳ないな」と思い二人分も炊いてあげたり
3人で使ってるバスマットや手拭きタオルを洗濯したり
いろんなところをこまめにきれいにしたり…
というように、3人で共有することも進んでやっていましたし、やらなくていいことも気づいてやっていました。
だんだんですね、私がやってることが彼女たちにとって当たり前になっていることに気づきました。
というのも「ありがとうございます」みたいな言葉や気持ちがないんです。
「あっぽこがこれをしてくれてるから私はこれをしよう」みたいなのがあってもいいのになと思うようになりました。
だってシェアハウスだから。
いや、でも「勝手に私がやってただけやん!」と思われると思うし、
私も「そうすることで自分が気持ちがいいからいいねん!」と自分に言い聞かせていましたが、ちょっと決定的な事件があり、もう私は完全に彼女たちといろいろ分けて生活することに決めました。
また、シェアハウスの難しさは別で書きたいと思います。
そして、人が良くていつもニコニコして率先していろいろしていた私が「これは完全に舐められている」と思った決定打がありました。
私は音にすごく敏感で、それは入居時にルームメートに伝えていました。
カナダに来たばかりのころホームステイしていたお家が大通りに面していて、その騒音で寝れず不眠症になったことも伝えていました。
今の私の部屋の横にバスがあり、家も古いので私の部屋に音がすごく響きます。
なのでお風呂は12時までに入ってもらうようにお願いしました。
最初のうちは守ろうとしてくれていましたが、それはほんの1か月ほど。
だんだん私のお願いもむなしく12時以降に入るようになったり、1時前からドライヤーを使ったり。
また、私以外の二人は年齢が同じで、仲良くなっていたんですけど、普通に夜中1時過ぎからペチャクチャとリビングで話し始めたり。
私の部屋、そのリビングの目の前なんです…
それで起きてしまい耐えてたけど、1時間近くたっても終わらないから、話をするのをやめてもらえるように言い「すみません」とその時は止めてくれましたが…
後日も12時を過ぎてからも話し始めるんです。
あ~全然気を使ってくれないなと…。
「あっぽこは怖くないし」と思われているんだなと思いました。
まあ、彼女たちが「思いやりの心」がない子たちだったのかなーとも、他の事件も含め思いますが。
周りの友達にいろいろと相談すると「ありえない」とビックリされたので、きっと彼女たちはレアケースでもあると思うんですが。
それでそのあと、部屋が増築されて新しい子が入ってきたんです。
その子はめっちゃ人見知りで、私たちと関わろうとしない。
めっちゃ謎めいてるんです。
プライベートなことも何となく聞きづらいか感じ。笑
会ったときに挨拶もできなかったりするし、ごみ捨てとか共有してしないといけないことも「どうしたらいいですか?」とか聞いてこないし
協調性にかけてるから思うところはあるんですけど(笑)
なんせ関わりがないし、自分を見せない感じだから、こっちが思うことがあっても「ええか~」と思ってしまうんです。
こっちも距離を取ろうとする、というか。
その子を見てると、そっちの方が得だなと思いました。
世の中のみんなに好かれる必要なんてなし、相手がどんな人かなんてわからないから、最初から自分をさらけ出しすぎたり、良い人になろうとしなくていい。
気づかないうちにお節介を焼いてしまう私なんかは、特に意識しないといけない。
シェアハウスはストレスフルでしたが、そこから学ぶことも多かったですね。
お金で解決することなら大丈夫!?
お金を払って解決することなら大丈夫!気にするな!!
何でもグジグジ、引きずってしまう私は、何か起こってもそれがお金で解決することならこう思って割り切るように練習しています。
ネガティブな感情をずっと保っておくのはしんどいし
何より私はお金を払ってもすぐに解決しない問題を抱えてるから。
例えば、2か月ほど前
バンクーバーでブリッジ(義歯)が取れ、2万5千円くらいの出費がありました。
オーマイガーって凹みましたが「でも歯の治療ってお金を払えばそれで治療完了。
病院に行って検査しまくったり、高いお金出して鍼に行ってても体調不良がまだ続いてるのに比べるとなんてことないやん!」って思いました。
100万円払って、今まで抱えてきてるこの不調が治るなら、借金してでも払います!!
でもそんなことは絶対にないから。
それと、歯の治療をした日、夕方からバイトをしていました。
そこで私は、アレルギーがあるとのことで特別な注文を受けていたお客さんに、間違って通常のものを提供してしまったのです。
その日の夜は吐きそうなくらい神経質になっちゃって
店長さん方がいい人たちなので、怒るどころか「大丈夫!気づくよ!」とか前向きな言葉をかけてくれたのですが
ネガティブで不安症な私は、重大なアレルギー反応が出て命にかかわることがあったらどうしようとまで考えてパニックに。
結局、お客さんもそこまでアレルギーがひどくなかった方なのか、苦情の電話もなく事なきを得ました。
この商品の渡し間違え事件は、お客さんの体にかかわることで、お金で解決することではないのですよね。
その時に昼間の歯医者で2万5千円飛んだことなんてどうってことないっておもえて
「お金で解決する事柄なら今後割り切れるようにしよう」と思いました。
でもね、もちろんこれは犯罪を犯して保釈金を払えば云々の話ではないですよ。
今私が書いたような本当に身近なちょっとしたハプニングでです。
実は今日もめっちゃ腹立つお金事件があったのですが、8千円ほどの損失なので←デカいけどね!そこから学べたと思って割り切りまーーす!!
一人でいることが本当に好きなのか
私は人に気を使いすぎるというか、周りの目を気にしすぎてしまう傾向にあります。
5年ほど前、石垣島に初めて一人旅に行きました。
その時、自分の行きたいところに行きたいタイミングで行ける、滞在したいだけそこにいてたそがれて、去りたい時にそこから去れる、等
人に気を遣わず、自分ですべてを決めて行動できることに快感を覚え
そこから一人行動は時には私にとって必要だなと感じました。
そういう意味での「一人」は好きです。
でも、ここ最近は「一人の状況を作らざるを得ない」と。
難しいな、なんていうのか…。
私は長年体調不良を抱えています。
つわりのような症状で、いつその症状がどれほど強く出るのかがわかりません。
なので友達と予定を立てるのがものすごくプレッシャーになる。
友達と会えたとしても、その時に自分の身体がしんどくても無理をしないといけない。
無理をするというか隠しています。めっちゃしんどかったり吐き気がしているのに。
または、体調不良のせいで予定を変更しないといけなくなったり、断ったり。
もし私に私のような友達がいたら、
その子が体調が悪いなら全然予定をキャンセルしてもらっても、途中で帰ってもらっても大丈夫と思うし、何も悪く思わない。
むしろ心配です。
私の友達もそう思ってくれると思います。
でも実は、友達にどう思われるかではない。
友達といることで「普通に元気な友達」という、体調不良を抱えている自分と比較する対象が生まれてしまう。
それで、いろいろなことが思うようにできない自分の現実を突きつけられる。
それが何より辛い。
だからどんどん一人を選ぶようになりました。
一人の方が楽だから。
何も気にせず、友達と予定を立てられる。
めっちゃ普通のことですが、それってめちゃくちゃ幸せなこと。
そんな些細なことが幸せなんだと気づけた自分はラッキーだと思います。
それが普通にできる日々に戻れるといいな。
自分の判断を信頼する
最近めっちゃモヤモヤすることがありました。
「自分の選択ががこれでよかったのかな」「こうした方がよかったのかな」とか。
日本にいる時の私は自分で物事を決めることができず、親友に「あなたならどうする?」と聞いたり、母親の意見を聞いたりしてました。
そしてここ数年この年になって自分で物事を判断できない自分はとてもみっともないと感じるようになりました。
しかし、カナダに来てからいろんな大変なことがあって、身近にすぐに相談できる人がいないという環境になり、自分で判断できるようになったなと感じています。
今まではとにかく自分に自信がなく「あの人だったらこうするだろう」「あの人だったらこの状況を乗り越えられるだろう」とか、物事を決断するときに勝手に誰かと比べて自分を責めたりもしていました。
でもカナダ来てからこうに考えられるようになりました。
私の今置かれている状況がわかるのは私しかいない
私という人間の感じ方、考え方が分かる人は私しかいない
私の考え方、感じ方は私の人生経験から培われたもの
だから誰にもこの選択が良かった悪かったかなんて判断できない
と思えるようになりました。
だから私は自分の選択を信頼すると思えるようになりました。
でも最近たぶん疲れすぎてそのことも忘れてた。
そんなと時に見た長友選手のインスタでの言葉。
「正解を選択するのではなく、自分の選択を正解にする」
さっすが👏
素敵すぎる。
私もこれでいく。
体がだるい時の方が身体の力が抜けて過ごしやすいって話
私は、基本的に体のだるさがあるのですが、本当にだるい時
「もう今日は生きて、生活するだけでいいや!」って思えるんです。
「出勤しても椅子に座ってるだけでいい!」とか「最低限のことだけしていたらいいでいい!」と割り切れるんです。
身体の力を抜いて1日を過ごせるんです。
逆に、そこまでにならないとうまく力を抜けていないということ。
普段自分がどれだけ身体に力が入っているのかに気づくんです。
普段も別に何かに追われているわけではないのに、何かに焦っているのか(笑)
無意識に「ちゃんとしよう!」「頑張ろう!」と思っているんでしょうね。
前回、完璧主義の人は6割でいいって記事を書きましたが
意識していてもやっぱり頑張りすぎている私。
私はせっかちなので、なんでもスピードを求めてしまっていて、気づいたら息を止めてバババババババっ!って動いてる時があります。(笑)
例えば信号を見たら「絶対これで渡りたい!」と思って走ってしまったりとか(笑)
でも身体がしんどかったら走らないし「信号くらいどうでもいい」って思えるじゃないですか。
今、例えで信号の話を出しましたが、こんな感じで
身体はしんどいはずなのに、いろいろ割り切れて無駄に頑張らない。
身体の力を抜くことができるから楽なんですよね。
わかる方いらっしゃいますかね?笑
普段からこんな感じで生活できるようになりたい。笑
完璧主義でしんどいあなたへ
実は私、先日誕生日を迎えました。
バンクーバーで仲良くしている友人が誕生日を祝ってくれて、その時に私に手紙をくれました。
その手紙を帰りの電車で読み泣きそうになりました。
本当に素敵な言葉をもらい、心が救われたので
完璧主義や責任感が強くてしんどいなと思っている方にその言葉を共有させてもらいたいと思いました。
少しでも心が楽になってくれたら嬉しいです。
「何事にも一生懸命で責任感が強くて周りをよく見てて気配りができる〇〇(←私の名前)。
そういう部分でたくさんしんどい想いとかしてきたと思うけど、そうなりたくても〇〇のようには到底なれないことで、人として本当に素敵なところやから、これからもその長所を大切にしてほしいなと、この1年一緒に過ごすでもらって強く思います。」
どうでしょうか。この言葉を紡ぎだせる彼女の文才にもまず脱帽。
そして私の性格をすごく理解してくれていることが嬉しかった。
また、今まで私がその性格で辛い想いをしてきただろうと、思いをはせてくれたこと。
最後に、でもそれは「なりたくてもなれない私の長所なんだ」と言ってくれたこと。
今まで私はこの性格のせいで自分を潰してしまったと、とにかく自分を責め、後悔ばかりしていました。
こんなふうに言ってくれた人が、初めてで。
そして私は今まで何度か言ってきているのですが、以前まで本当に日本で3本の指に入るんじゃないかってくらい、自己肯定感が低く(笑)
だから語学学校で彼女に出会ったとき
「こんな面倒な私と友達にならせてしまった」的なことを実はずーっと思ってて
↑病気(笑)
そして、彼女と会ったときは時は9.5対0.5ぐらいの割合で私ばっかり喋ってて、いつも「ほんま申し訳ないなー」って「今日もいっぱい喋りすぎたなー」って思ってなんか後ろめたい気持ちになっちゃうんですよね。
でもね、そんな風に思ってたのに彼女は手紙の中で私との出会いに本当に感謝してくれていて。
これ以上「申し訳ない」とか思ったら、なんかここまで私のことを大切に思ってくれている彼女に申し訳ないなと思いました。
こんな友人と海外留学中に出会えた私はなんてついているんでしょう。
なんか話が少し脱線してしまいましたが(笑)
完璧主義とか、真面目過ぎるとか、責任感が強すぎてしんどいって思っていたり、そんな自分が嫌いだと思っている方に、さっきの彼女が手紙で言ってくれたような言葉を自分にもかけられていると思ってもらえたら嬉しいです。
架空の憧れの人になったつもりで生活してみた!〜元気になってきた理由③
こんにちは。
ここ2回にわたって、長年身体の不調を抱えていた私が少しずつ元気になってきた理由を書かせていただきました。
物事への捉え方を変えようと決意し、実践していく中で、どんどん自分の身体と心に変化が起きてきて、肯定的に物事を見れるようになってきました。
そうしていく中で自分に新たなマインドが生まれてきました。
そのことについて今日は書きたいと思います。
少し前回を振り返ります。
「もうカナダにあと数か月しかいないんだから、自分のしたいように、言いたいことも言って過ごしてやるぞ~!」
という意気込みで残りを過ごすことを決意。
でもやっぱり「本当に大丈夫かな…」と心がソワソワ~ゾワゾワ~としてしまう時があります。
そんな時、こう考えるようにしました。
私が「すごい!」「素敵」って思う人は、この時どういう行動や判断をするか
これをすると物事を客観的に、少し冷静になって見れるようになりました。
これって、自分軸で物事を見れてますよね。
これをすることで今まで私は「これをしたらどうみられるか」という他人軸で物事を判断していたことに大いに気づかされました。
そして、自分がそのことを考えているとき、そこには”架空のあこがれの人物”がいるわけですね。
「よし、じゃあその人になったと思って、やってやれー!」って、
自分が行動してるのに、なんか他人事のように思って行動してるような感覚になれて。笑
そしてそのあとに「よっしゃ、なりたい自分になれた」って思えて自分を褒めるんです。笑
これを繰り返していると、自分がポケモンのようにレベルアップしてるような気になって。笑
何かの記事で「自分がこんな風になりたいなって人のそばにいて、その人の思考や行動を真似するといい」って言うのを読みました。
そばに居れないとしても
出会ってきた人たちの素敵だなと思うところを真似てみたり
その人たちならこういう時どう考えるんやろって思ってみたり
また、
私のようにその人たちをもとに架空の人物像を作ったりして行動してみる
ことってすごくいいかも!大事だな!って思いました。
これを続けていっているうちに、
これからは自分の好きなこと、楽しいこと、やりたいことを選択して生きていこう、そうやって生きていっていいんよね!!
と思えるようになり、すると
生きることってすごく楽しいやん!!と思えるようになりました。
何かからすごく解放されたような感覚。
今まですごく他人の目やこうあるべきにとらわれて生きてきたんやなって気づかされました。
昔、日本の漢方内科の先生が私の脈診をした後、私にこんなことを言ってきたことがありました。
「あなたはボンレスハムのように自分自身をギュギュギュって縛ってる感じね」と。
めっちゃわかりやすい例え。笑
その糸がプチンと切れたとまではまだ行かないけど、緩くなったように思います。
ワーホリに来て、大変なことばかりだったし(こんな身体できたので)、英語の勉強どころじゃなかったけど、それ以上に私の人生にとって大事なものを得られたように思います。